おはようございます。元気ですか。検温してますか?お仕事に電車やバスを使って通勤している保護者の皆さま、体調はいかかですか、あれ?と思ったら、お休みが難しいこともあるでしょうが、少しでも休めることを願います。児童の皆さんは、お家で出来ること増えましたか。たくましくなっていますか?(そんな急にはかわらないか)健康観察続けていきましょうね。私は、6度2分でっす!保護者の皆様のお陰で、あと皆さんの頑張りで大きく体調を崩している人はいないようです。よかった。

 

今日は、3月11日です。この後、ちと長いですよ。

 

あの時生まれた子も小学校3年ですかね。東日本に大きな地震が起きた日です。そのすぐあとに大きな大きな津波が、人をモノを、心をも飲み込んでいった日です。小学校6年生の皆さんでも覚えてないかな。親御さんたちはいろいろなことをそれぞれに覚えていることでしょうし、目で見て、聞いて、肌で感じた3月11日だったことと思います。9年たった今でも、困っている人がたくさんいるし、この後も、まだまだ困ることが、たくさん考えられる大きな大きな震災でした。

 

今日は新聞やテレビに報道で、この震災によせて様々なことを聞いたり、見たりすることと思います。あ、またやってる、くらいに見方をする人もいたら悲しいけど、それはさすがにないかな。今日はいろいろと考える日にしてほしいです。

 

9年前の私は、ちょうど役所の4階にいて、一度目の揺れで、机の下に逃げ、その後、もう一度、市内小中学校の損害状況を電話で聞き取っている途中に、二度目の強い揺れに遭いました。鉄製のロッカーが次々と吹き飛ぶように倒れ、机の下に隠れなければ、ケガをするところだったことを思い出します。ロッカーをどけ机から這い出ると、鉄製の書棚やロッカーで、3つの各課を仕切っていたものですが、それがほとんど倒れ、すべての課が見通せたことが印象に残っています。その後のテレビでの津波の映像に、本当のことか?と思いながらも、車に乗り、市内の学校の損害状況の確認に行きました。ある学校の校庭に大きな犬が興奮していて、役所の車をみた地元の人に、どうにかしてくれとも言われ困ったことも思い出します。

日が暮れてきてからが本当に大変でした。(東北の人から比べれば大変の度合いは違いますが…)電車が止まり松戸駅は閉められました。東京からの帰宅難民が来るとの情報に、役所は総出でその対応にあたることになりました。役所、相模台小、一中、松戸駅を何周もして情報を集めたり、江戸川を渡って6号線から松戸より北へ歩いて帰る人々に夜通し対応したことを思いだします。かき集めた毛布や飲み物を配っても、体育館の床に毛布一枚で寝られるわけないだろう!、こんな冷たいもの食べられるか!とか、みなさん気がたっていたのか、ずいぶんと怒られたことも思い出します。仕事の合間の深夜に見上げた空に、キラキラと、この辺りでこんな星がみえるのかと思ったことが妙に印象的でした。東北では、その日に、何人もの命が亡くなっていたのは、もう少したってから知ることになります。

とにかくその晩はいろいろとありすぎたのと寒さでほとんど寝られず、その中でも、何人かの帰宅避難の方々にお世話になりましたといわれことが救いでした。

翌日、家に帰ると、東北の惨状をテレビでみて、なんということがおきているのだと、混乱したのを思い出します。その後はテレビの報道を繰り返し見ることになりました。東北の友人には、ほとんど連絡が通じず、その後には通じた、学校関係者の友人の話を聞くと、私のやったことなど、ほんの些細なことだったんだと思うような過酷な状況を聞き、地震や津波の被害のものすごさを思いました。人間の関わる事件にも…。

その後も、余震が続き、市の災害相談や計画停電の電話受付に泊まり込んだり、福島からの避難民の受け入れ業務とかもしたような。車についた泥とか普通に落としてましたね。

 私のつたない経験を今あげてみて、もうしわけないですが、このくらいの話ならと、お家でお母さんやお父さん、また親戚や知り合いの話でも、ぜひ子どもに聞かせてあげてください。もちろん今日やるニュースや特別番組にも気をつけてほしいところです。一人一人が自分の口で、あのとき3.11を語ることが、それを次世代に繋げ、考え続けるきっかけになると思うのです。

 

そして今でも自宅、地元に戻れない人がいること、ご遺体が出てこないこと、本当の復興ということ、原子力発電所のことや、廃炉に向けての事業、落ち込んでいる産業や、風評被害、そして、いまだに困っている人へ差し伸べる手があること、同時に、困っている人を利用す人があることなど、なんでもいいから、子どもにとっての話題にしてほしいのです。

 

今日、もし学校があったなら、担任やそれ以外の職員からでも、3.11の日にあったことが、なんらかの話題にされ、そうなんだーとか、そうだってねと聞きあうことがあったはず。でも、今年は出来なかった。それが、今の子どもに何を残すのか?何気ない会話ができない子がいる今の日本は、これからどうなるのか、学校復活後、我々大人は、今以上にしっかりしないといけないねと、朝、職員にも、話をしたところです。親御さんもぜひご自分の体験を、なんでもいいので、話してみて下さい。長々と申し訳ありませんでした。

 

そして、今のこの状態をどう考えますか。大人も子どもも、気持ちと知恵をわけあって、やれることをやる!目の前のやれることを自分でさがして。

半旗をあげました。

皆さんは半旗の意味はわかるかな?