長い間練習をしてきた。

自分で望んで参加したのに、思うようには体は動かない。

記録が伸びるどころか、それどころではない。

上達する友人がうらやましかった。

先生方の励ましも、時に嫌に感じることもあった。

でもやめずに練習に参加した。

あと1本!の声に半ば無理矢理走った人もいるだろう。

でも覚えておいて欲しい。

それが素敵な時間というものだということを。

 

選手招集口に呼ばれ、他の学校の選手と並ぶ。

今までは学校で練習してた時、友人がそばにいた。

今は一人。周りはみんな強うそうに見えた。不安がのどから出そうになる。

一人になった時、それまでの自分の取り組みだけが頼りになること、仲間といたことが力になるということを気づけたか。

 

スタートする直前の気持ち、息を吐き、目線はさまよったか、そこに立っていたという事実があったこと。「位置について」の声を境にあなたは確実に成長したのだ。結果はあとからついてくる。

 

自分は補欠だとがっかりする人がいた。そう思うのも無理はない…。でも、欠けたることを補う者。一人フィールドに残された者へ、一人ではないと思わせる声、心からの気持ち、一緒に練習してきた思いをしっかりと見事に送っていた。かっこよかった。

 

緊張はして当たり前、人はそれを楽しめというが、そんな余裕はまだないだろう。それでいい、緊張を味わわえる機会を、努力と運で与えられたことに感謝しよう。開会式で教育長先生が、首の後ろに力を入れよう!と言っていた。これからの生活でも何度もそう何度もだ、緊張する場面がくる。備えることだ。よい経験をしたのだから。経験は何事にも代えがたい。

 

互いに競っていた者は誰もいなくなっていた、彼は一人、分厚いマットと触れればすぐに落ちてしまうバーの前にいた。競う相手は、自分。緊張も最高潮だっただろう。記録より記憶。一人だけの競技場の雰囲気を味わえた彼は幸せ者か。それを共有した皆も幸せだったのだ。少なくともカメラのファインダー越しに、そのバーを見つめる彼の真剣な表情をみることができた自分は幸せだった。感動をありがとう。

 

最後に思う。お弁当や、つめたい飲み物を用意して下さった、とにかく心配をしてくれた人がいること。君らにこの場を与えるためにいろいろな人が努力してくれた人がいたことに気づき感謝すること。黄色いスタッフジャンパーを着ていた競技役員はみな市内の小学校の先生だ。君らが公正に最大限の力を発揮できるように集まっていた。その役員の先生が集まれるように松戸市中の学校の先生が協力してこの日を迎えていたことも考えてほしい。なんと贅沢な。

 

君らが成長して、運動公園のそばを通った時に、小学校のときここで思いっきり声出してなぁ~とか、思い出すことを勝手に望む。頑張れ古ケ崎小学生!