ありがとう牧野原中学校

 令和5年度末の人事異動で本校を離任することになりました。在任中は、保護者や地域の皆様には、本校の教育活動に暖かいご支援・ご協力をいただきまして誠にありがとうございました。本紙面より厚く御礼申し上げます。4月からは千葉県立野田中央高等学校の校長として、2年間の中学校経験を生かしながら、生徒たちがより楽しく有意義に学び、毎日を過ごせる学校経営に取り組んでいこうと気持ちを新たにしているところです。

 とは言いながら、今の気持ちは、本校、いや「牧中」(私はこの呼び方に強い愛着を感じています)への名残惜しさが勝っているのが正直なところです。

 元々高校の教員であった私にとって初めての中学校勤務は、初出勤日の4月1日の朝から職員会議があり、以後始業式の前日まで連続する職員会議も含めて、全校あげて入念に行われる生徒を迎える準備への驚きから始まりました(高校では、始業式前日の職員会議から全校規模での新年度業務が始まるのが普通です)。

 新年度準備だけではありません。新入生歓迎会から始まって、1学期中に体育祭、2年生の林間学園や3年生の修学旅行まで立て続けに計画された学校行事や校外学習の準備・事前学習も授業と並行しながら、実にきめ細かく指導が行われ、子供たちの取組も大変前向きです。それら1年を通じて行われる教育活動の成果は、今月に行われた「3年生を送る会」や「卒業式」でみられた子供たちの成長ぶりによく表れていたと思っています。

 子供たち全員に「あまねく」牧中の教育活動の滋養を浸透させようとする先生方の取組、子供たちが「あまねく」牧中生徒の一員として取組に参加しようとする姿は、この2年間私が敬服し誇りにもしてきたところのものです。

 高校での教育活動も入念な準備やきめ細やかな指導の下で行われているのはもちろんなのですが、自身も含めて高校教員の思考の出発点には、どうしても「義務教育ではない」と一点があるように感じます。発達段階的にも生徒の学校生活全般への自発的意欲が前提とされ、中途での進路変更もあり得る高校の現場では、私が牧中で感じた「あまねく」という義務教育ならではの感覚は薄いように感じます。この感覚をどのように次の勤務校の教育活動の中に育てていくかが私の課題だと考えています。

 牧中の校歌に「橘の香のようにゆかしく牧野原われらの学び舎」と歌う一節があります。この歌詞はおそらく古今和歌集の有名な次の歌を下敷きにしたものでしょう。

 

五月(さつき)待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

 

 歌の大意は、「五月の到来とともに咲く橘の花の香りをかぐと、昔親しくしていた人の袖に焚き込まれていたお香の香りを懐かしく思い出すよ」というところですが、この歌以後「橘の香」=「(昔の恋人や故人への)懐かしさを呼び起こすもの」という連想が和歌の世界に定着し、この連想をモチーフにした歌が様々に詠まれました。つまり、校歌ではいつまでも懐かしさを感じる母校の存在を「橘の香」に託しているのです。

 今後の私にとって、橘の香りは牧中への懐かしさを呼び起こすものとなるでしょう。

 さようなら牧野原中学校。ありがとう牧野原中学校。そして、がんばれ牧中生!