新島・円珍・修学旅行

 5月20日(日)から2泊3日の日程で、奈良・京都への修学旅行を実施しました。生徒たちが決めた旅のスローガンは、「時をかける修学旅行~絆を深める想い出の旅~」です。「時をかける」には、奈良・京都という時代を超える古都への旅という意味と生徒たちの心に時を超えて残り頃続ける仲間との思い出深い旅という意味が込められています。なかなかいいスローガンだと思いました。

 旅程の中心は奈良と京都の班別自由見学でしたが、生徒たちは、本校がめざす生徒像の一つである「自ら考え、行動できる生徒」そのままに、自分たちで立案した計画に沿って、時間を守り、良識的に行動することができました。生徒を頼もしく感じられる時は、教師の喜びの時でもあります。

 「遊学(ゆうがく)」という言葉があります。「遊ぶ」には、読んだとおりの意味のほかに「旅をする」という意味もあります。半ば仲間と遊ぶような旅を通じての学びと成長こそ、修学旅行の真骨頂(しんこっちょう)というものでしょう。

 2日目の京都で、生徒の班別見学の巡回がてら同志社大学を訪ねました。明治時代に キリスト教宣教師の新島襄(にいじまじょう)により創立された同志社大学のキャンパスには、明治20年代までに建設された礼拝堂などの建物が複数現存しており、かねがね見学したいと思っていたからです。実際に目の前にしたそれらの建築は、当時のキリスト教建築らしい赤レンガを積み上げたゴシック様式の建物で、新島の敬虔(けいけん)な信仰心と教育への(こころざし)を体現するかのような荘厳さが感じられるものでしたが、それはさておき、新島襄もアメリカへの旅を通じて自らの人生を切り拓いた人でした。

 新島は、幕末に北海道の箱館(現在は函館)から密航船で旅立ち、1年以上をかけてアメリカのボストンに渡りました。その後、帰国するまでの約10年のアメリカでの経験が、新島の人生の(いしずえ)となるわけですが、在米中は、「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious.)」の言葉で有名な、あのクラーク博士(この名前を知らない人は札幌に旅してみよう)にも教えを受けたそうです。

 そういえば、修学旅行から帰って翌日の新聞に、平安時代の僧侶である円珍(えんちん)が残した多数の文書(もんじょ)がユネスコの「世界の記憶」に登録されたというニュースが載っていました。円珍も唐の都である長安に渡り、その経験が帰国後の僧侶としての存在を一層大きなものとしました。ちなみに円珍も比叡山延暦寺で修行した僧であることから、京都につながりのある人物でもあります。

 新島、円珍、修学旅行。これらを同列に並べるわけにはいかないでしょうが、異郷に飛び出しての経験が大きな学びとなるのは確かなことでしょう。修学旅行は練習のようなものです。生徒のみなさんには、将来の飛躍を期して「遊学」の記憶を忘れないでほしいと思います。