温故知新の再発見

 11月は、22日に1年生の校外学習を実施しました。本来は17日が予定日でしたが、高い確率で大雨・強風となる予報(実際予報どおりの荒天でした)であったため、雨天決行の予定も変更して3日前に延期の決定をしました。上野公園周辺で終日班別行動を行うという内容から考えて、学習効果を高めるためには好天下での実施が必須と考えたためですが、このあたりが小回りの利く小規模校ならではのよさというものでしょう。

 当日は、目論見(もくろみ)どおりの気持ちよい小春日和(こはるびより)で、公園内を銀杏の葉が美しく黄色に染める中、生徒たちは「発見 ~上野で学び、楽しむために協力しよう~」という学年スローガンの下、校外での学びを満喫しました。

 上野公園は、ご存じのように江戸時代は徳川将軍家の菩提寺(ぼだいじ)・寛永寺があった場所で、幕末の彰義隊の戦争で焼け野原になりました。その後、明治初めに日本初の公園として整備され、勧業博覧会や競馬の開催、博物館の開設など新時代をリードする場所の一つになりました。今でも園内には、江戸から明治への時代の転換点の舞台となった様々な痕跡(こんせき)が残されています。私は、生徒用のしおりにそんな公園の歴史を「発見」してほしいと書きました。過去の歴史の積み重ねの上に現在があり、未来につながっていることを実感してもらいたかったからです。

 さて、当日の私はといえば、生徒たちの様子を見回りながら、国立博物館で開催中の「横尾忠則『寒山百(かんざんひゃく)(とく)』展」を見学しました。御年(おんとし)87歳の画家・横尾忠則が中国、日本における伝統的な画題である「寒山拾得(じっとく)」をモチーフに連作した102点を集めた展覧会です。

 「寒山拾得」は、中国の唐時代に存在したといわれる寒山と拾得という二人の僧のことで、奇抜に振る舞いながらも禅の悟りを開いた人物として、好んで画題に取り上げられました。描かれる姿はだいたい決まっていて、二人とも伸び放題の髪に粗末な衣をまとい、寒山はほうきを、拾得は巻物を持っています。

 横尾忠則は、ほうき(または掃除機)と巻物(またはトイレットペーパー)を持つ(持っていない場合もある)二人の人物を描くことを原則に、一枚一枚オリジナルのアレンジを施し、寒山拾得の振る舞いそのままの奇抜で色彩豊かな作品を生み出します。時にはアインシュタインやスタローン、江戸川乱歩など古今東西の人物が登場します。また、国宝の日本画やマネの作品などを取り込んだものもあります。和歌や浮世絵の世界では、古歌や故事(こじ)を下敷きに新たな創作を行う「本歌取り」や「見立て」という技法がありますが、その究極の姿がここにあるという印象でした。約1年半の間に縦横1m50~2mほどの大型作品を102点も仕上げるパワーは、87歳という年齢を考えれば驚異的です。中には2日程度で完成させたものもあるようですが、どれをとっても独創的で見飽きることがありませんでした。

 鑑賞し終わって、私が学校教育を通じて子どもたちに付けてほしい力は、こういうことだと思いました。私たちには有史以来の先人が築き上げ、受け継いできた文化の蓄積があります。まず、それを学ぶ。そして、学びの中で自らの人間性を磨き、厚みのあるものとしながら、同時にそれらを活用し、新たなものを生み出していこうとする活力を養う。それが、校長として私の目指すところだと思いました。

 最後にたどり着いた言葉は「温故知新」。今さらの四字熟語ですが、時間の波に洗われた言葉にはやはり含蓄(がんちく)があるものだと、私自身にも改めて「発見」のある校外学習になりました。