授業のきも)

 9月に入っても真夏のように暑い日が続きましたが、毎年、この時季になると必ず思い出す和歌があります。今から1100年以上前の平安時代の貴族・藤原敏行が「古今和歌集」に残したこんな歌です。

  秋()ぬと目にはさやかに見()ねども風の音にぞおどろかれぬる

 現代語にすると、「秋が来たとは、目でははっきり確かめられないけれど、さっと吹く爽やかな風に秋の訪れをはっと気づかされた」という意味です。確かにここのところ、朝夕の風にようやく行く夏の気配が感じられるようになりました。冷涼な空気の中で学習に集中できる「学びの秋」もすぐそこまで来ています。

 さて、9月は先生方の学びに関係して二つのトピックがありました。

 まず一つ目は、13日に実施した先生方の授業力アップを目的とした校内研修です。各教科主任の先生方の研究授業と授業内容についての協議会をセットにした内容でした。今年度、本校の先生方は、どうしたら生徒たちに主体的に学ぶ力を育てることができるかを研究テーマとして日々の授業に取り組んでいます。今回の研修もその一環で行われたわけですが、「学び続ける教師」として、本校の先生方もよりよい授業をするための勉強に怠りなく励んでいるところです。

 次に二つ目。県の教育委員会では、授業の中で優れた取組をしている先生を「授業の達人」として、その先生の授業動画を県内の教職員に公開する事業を行っていますが、その一環で本校の小林拓郎先生が行う英語の授業の動画撮影が14日に行われました。生徒同士のグループ学習も折り込んだほぼオールイングリッシュの授業でしたが、生徒たち(2年生)にもだいぶ英語を聞き取る力が付いてきているように感じられました。

 授業は学校の教育活動の(かなめ)です。私は、2学期始めの職員会議で、先生方に「生徒に感動を与える授業」を実践目標とすることを示しました。知らなかったことを知る感動、疑問が解ける感動、できなかったことができるようになる感動、先生の深い学識へ感動のなど、感動の中身も様々だと思いますが、授業の中で心動かされた経験こそが、自ら学びに取り組もうとする態度を育てるのだと考えるからです。

 私は高校時代の古典の授業で「奥の細道」を学んだ折り、芭蕉が平泉の中尊寺で詠んだ一句「五月雨のふりのこしてや光堂」について、先生が語った解釈にいたく心を動かされた覚えがあります。詳しく書けないのが残念ですが、奥州藤原氏三代の遺体を安置した中尊寺・金色堂に降り込める五月雨の景色の中に、かつての平泉の興亡と悠久の時の流れまで詠み込んだ一句に「やられた」わけです。私が大学で国文学を学び、国語の教師になったのは、そればかりが理由ではありませんが、文学や国語の学びへの意欲が刺激されたことは確かです。そこで心動かされた生徒は私一人だけだったかもしれませんが、それで十分ではないでしょうか。

 生徒はみんな違います。感動のポイントもみんな違います。だから授業の中には、できるだけ多くの小さい感動の種をまいておくようにしたいものです。その中の一つの種に一人の生徒が反応してくれるだけで、その授業は千金の値を獲得すると私は思います。