挨拶をしよう

 先月、2年生の林間学園の引率をしました。2泊3日の行程の中で、多くの生徒たちから「校長先生、ひざは大丈夫ですか?」という声をかけてもらいました。

 私事(しじ)ながら5月の下旬から膝を痛め「変形性(ひざ)関節症」という診断で、歩行に若干(じゃっかん)の支障が生じていました。そのため、6月4日に開催した体育祭では、2年生の学年競技である「借り人競争」で「借りられる人」になることが決まっていましたが、真剣勝負に水を差すことになっては申し訳ないと思い、辞退した経緯がありました。そのいきさつを、生徒たちも先生方から聞いていたのでした。

 生徒たちの優しい心遣いをうれしく感じながら、声をかけられるたび「だいぶよくなってきたよ」とか「もうちょっとかな」などと返事をしながら、ある少数民族と本校の「三本柱」の一つである「挨拶」に思いが及びました。

 その少数民族は、タイやラオスの山岳地域に住む「ムラブリ」と呼ばれる人々です。「ムラブリ」は「森の人」という意味で、彼らは長い間その名のとおり森の中を移動しながら狩猟採集生活を送ってきました。

 彼らが話すムラブリ語には、日本語の「おはよう」「こんにちは」などに相当する挨拶の言葉がありません。人に会ったときには、「ご飯食べた?」や「どこ行くの?」といった質問が挨拶代わりになります。しかし、相手が質問にきちんと答えることはなく、「まあね」とか「そこまでね」といった程度で、時には食後であっても「まだ食べてない」と事実に反する答えをすることもあるそうです。

 ムラブリ語を研究する言語学者は、このことについて言葉は意味のある情報を伝えるためばかりにあるのではなく、意味のないやりとりの中で「関係性」を伝え、確認し合うための役割を持つのだと考察しています。

 私の解釈で簡単に説明すると、「質問をする」「答える」という言葉のやりとりの中で、互いが生活の場を共にする仲間であることを認め合うことが大事なところで、答えの内容がいいかげんであっても、事実に反していても、質問した側も特に気にしたりしないのだということでしょう。

 そう考えれば、林間学園で生徒たちがかけてくれた言葉も一つの挨拶とも言えるでしょう。彼らの優しさや先生への心遣いが、「おはよう」「こんにちは」の代わりに、「ひざ、大丈夫ですか?」という質問になって表れたのだと思います。この質問によって、生徒たちの優しい心遣いが私に伝わります。そして、私の答えが、さほど中身のない簡単なものであっても彼らが理解を示してくれたのは、自分たちの心遣いが私に届いたということが認できたためだと思います。こうして同じ牧中の先生と生徒の「関係性」(心の結びつき)が深められることになるのです。

 今年度に入ってから、「おはよう」「こんにちは」と元気よく挨拶をしてくれる生徒が少なくなっているように感じます。「三本柱」の伝統を大切にしていきましょう。

   参考図書:「ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと」(伊藤雄馬著)