令和6年がスタートしました。今年も牧中の生徒として「今しかできないこと」に励んでほしいと思います。

 そして、今日から3学期が始まります。学年もいよいよ大詰めです。

 3年生は、まずは高校受験など希望どおりの進路を手に入れて、卒業まで残り少なくなった中学校生活に悔いを残さないよう過ごしてください。

 2年生は、4月から残り1年となる中学校生活を見通しながら、最上級生たるにふさわしい頼もしさを身につけてほしいと思います。

 そして、1年生は、学習面においても生活面においても、4月に入学する後輩たちが見習いたくなるような、一層の落ち着きを身につけてほしいと願っています。

 さて、令和6年は、元旦から石川県を中心にした能登半島地震が起きたかと思えば、2日には羽田空港で航空機同士の衝突事故があり、騒然とした中での年明けになりました。

 今日は、そんなお正月に私が出会った一編の詩を紹介したいと思います。

 今朝方、担任の先生を通じて配ってもらったのがその詩です。手元にありますね。

 国語の教科書にも作品が取り上げられることがある石垣りんという詩人が詠んだ「洗剤のある風景」という題の詩です。

 内容は、作者が日本海沿いを列車で旅している時に、ある家の窓際に置かれた洗剤の容器を見て感じたことを詠んだものです。これから朗読しますが、自分が日本海沿いを走る列車に乗っている気持ちで聞いてください。片側の窓には日本海、片側の窓には漁村の家々が見えています。頭の中に映像が浮かんできましたか。それでは読みます。

(省略)

 作者は、旅の途中で、列車の窓を次々と流れ去る家々の一軒の窓際に置かれた洗剤の容器に気づいたことで、旅人として何気なく見過ごしてしまう風景の中に人それぞれの暮らしがあることに思い至ります。どこの家庭にも、それぞれ違った洗剤の容器が置かれていて、それぞれ違った暮らしがあるということです。

 私はこの詩を読んで、今回の地震に限らず、大きな災害や事故、戦争などの報道では、どうしても犠牲者の人数ばかりがクローズアップされることになりますが、その何人と大きくくくられた数字の一人一人に、それぞれの生活があった、家族や友人がいたということに思いを巡らせる想像力を持った人間でありたいと思いました。それは、災害や戦争などで亡くなった人たちに限ったことではありません。この世の中に生きる全ての人たち、それぞれの家の台所の窓際に置かれた洗剤の容器に思いを巡らせる想像力を持った人間でありたいと思いました。

 こういう想像力こそが、相手のことを思いやり、誰にでも温かく接することができる心を育てるのだと思います。そして、共に暮らす一人一人が、互いを思いやり、許し合い、温かく接し合うことができれば、家庭も学校も国も世界も平和で居心地のよい場所になるのだろうと思いました。

 この1年、みなさんには、お互いがそれぞれに持っている「洗剤の容器」への想像力を育て、私が2学期の終業式で話をした「暴力や言葉で人の身体や心を傷つけない」という人の道の真ん中を歩きながら、「全体は一人のために、一人は全体のために行動する」という気持ちで、先生方と一緒に牧中をより平和で居心地よい、温かさの感じられる学校にしていってほしいと思います。

 では、令和6年もよい1年にしましょう。