学校の沿革(高木二小の歴史)

・1913年(大正2年)11月

わらぶき屋根の校舎

現在の場所に高木尋常小学校 五香六実分校として開設されました。まだ、わらぶき屋根の小さな2教室の校舎でした。

 

1936年(昭和11年)3月

新校舎ができました。木造瓦屋根の6教室でした。

s11 新校舎正門
当時の正門 全校朝礼の様子
この頃の写真から、今の正門前にある桜と楓(かえで)の樹が写っています。 当時の「書き方」の授業の様子髪型や服装が今とずいぶん違いますね。 

 

1944年(昭和19年)4月

「高木第二国民学校」として、高木国民学校から独立しました。12学級、523名でのスタートでした。
 

1947年(昭和22年)4月

「松戸市立高木第二小学校」に学校名が変わりました。
 

1959年(昭和34年)4月

当時の皇太子御成婚記念と国土緑化運動に合わせて、桜の樹を10本、校庭脇の庭に植えました。

これが今の校庭周りの大きな桜の樹に成長したのです。当時の皇太子御成婚記念と国土緑化運動に合わせて、桜の樹を10本、校庭脇の庭に植えました。これが今の校庭周りの大きな桜の樹に成長した(その後、少しずつ植えられて、増えていったそうです。)

校舎の間には、今も残るイチョウの樹が見えます。

 

1961年(昭和34年)11月

学校給食開始。高木二小のおいしい給食はここから始まりました。
 

1968年(昭和43年)

45学級(+特学1) 1876名

この年から他の学校への移管が始まりました。
(柏市立南部小へ106名、松飛台小へ204名)

教室が足りないため、校庭にプレハブの校舎を建てています。

この頃は、まだ、県道に面したところに正門がありました。

 

1971年(昭和46年)

六実小学校へ271名移管

二本の樹の前は給食室でした。

 

1975年(昭和50年)

51学級(+特学2) 2032名  松戸市で1番、千葉県でも有数のマンモス校でした。 そのため新設された学校への移管が更に進められました。
○昭和51年 金ヶ作小へ 328名
○昭和52年 六実二小へ 101名
○昭和53年 松飛台二小へ 149名
○昭和56年 六実三小へ 61名

増築途中の鉄筋校舎と、まだ残っている旧校舎。まだまだ細い桜の樹々。

 

1984年(昭和59年)6月

つくし養護学校(現つくし特別支援学校)との交流が始まりました 。 

                       
・2023年(令和5年)11月1日 創立80周年

80周年を記念して、空撮を行いました。

 

・高木二小の発展はまだまだ続きます。