昨晩の中秋の名月、とってもきれいでした。昼頃までの天候で空気が澄んだためかくっきりとして見事でした。今日も穏やかな晴天なので、今晩の満月も期待できそうです。

穏やかな季節になりましたが、今日は校舎や校庭から子どもたちの声が聞こえてきません。休み時間に校庭で笑顔いっぱいに遊んでいる子どもたちを見ている時間が自分にとっての幸せな時間なのですが、今日はちょっと残念です。

休み時間は多くの子どもたちにとっても楽しい時間でしょうから、時間が経つのが早く感じられると思います。今の時代、大量とか高速とかが売りものになっている場合が多く、少量とか遅いということはマイナー感がある気がします。

(少量ということについては希少価値ということもなりますが…)

 「すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる」とは中学校3年間かけて国語の授業で「銀の匙」を教材化していた橋本武先生の言葉です。「銀の匙」は文庫本200ページほどの中勘助の自伝的小説。その日本語の美しさに夏目漱石も絶賛したといわれます。先生の国語の授業は、こうした小説の文章だけを追いかけるのではなく、語句の意味を調べたり、実際にいろいろな体験を交えたりしながら、ゆっくりとゆっくりと進んでいくのだそうです。それは、「遅い」というよりじっくりと時間をかけるというものです。

 じっくりと時間をかけるというと、私は岡潔という数学者のことを思い出します。80年近い生涯において10編ほどしか論文を発表せず、その内容も本質的なものばかりだったとのことです。岡潔の『春宵十話』は愛読書でもあります。彼は、数学者であっても深く教育のことを考えたり、芭蕉や漱石、芥川の文学を愛読したりして、本来、数学者であれば科学的な思考が大切であるはずの中、情緒を培うことの大切を説いています。学者としての研究では、6年や7年、いやそれ以上の年月をかけてひとつの難解な問題を解いていく。小学校での算数では、わからないということはいいことではないし、計算問題も速く、正確にできるように勉強させます。一般的な時間的感覚からすれば、問題を解くためにかかる時間は遅いのですが、それだけ時間を要するものに焦らずに取り組んでいく。そのためにはそれだけの時間が必要であるということなのでしょう。だからでしょうか、岡潔は世間との交渉を断ち、籠って研究に没頭したようです。それは昭和10年代のことですから、今のような情報がおのずと入ってきてしまう時代ではなおさら困難なことなのかもしれません。

 時間は貯めることはできません。買うこともできません。すべての人に平等にあるものです。ゆっくりしていると、時代に取り残されてしまうかもしれないという不安もあります。しかし、時には時間の流れに身をまかせ、じっくりと過ごすことも大切なのかもしれません。