今日は9月15日。ちょっと前までは「敬老の日」でした。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。」日で現在は9月第三月曜日となりますから、今年は21日です。

 どんな方々も必ず子どもの頃があり、小学校で勉強をしたことでしょう。小金小学校もあと数年で創立150周年。その間、学校も変わり、学習も変わりました。かつて勉強の基本は「よみ・かき・そろばん」つまり、読む力、書く力、計算できる力が大切にされていました。現在も読解力や文章表現力、計算技能は重要視されていますが、そのほかいろいろな学力も出てきて、学習のやり方も随分と変わったと思います。

 昔のやり方の方がよかったとか、今の学習はダメだとかいうことではなく、それぞれにはその良さがあり大切なことは残しておきたいと思います。

 そのような中で最近気になるのが「書く」ということが疎かになっていないかということです。昔に遡って、日頃から毛筆で…とまでは言いませんが、ていねいに文字を書くことで、見映えの美しい文字が書けるようになります。ていねいな文字を見るとそこからその人の気持ちが伝わるような気がします。そのためにはきちんとした正しい鉛筆の持ち方で、正しい姿勢で書くことが望ましいことはいうまでもありません。しかし残念ながら、鉛筆(お箸も…)を正しく持てる児童は意外と少ないのです。小学校にあがる前から名前や文字を書くことができる子どもたちは多いのですが、鉛筆の持ち方や文字の筆順などにはあまり意識が向いていないのではないかと思います。

 また、学校においても漢字の練習や視写などじっくりと時間をかけて取り組むことは敬遠がちで、ノートに「書く」学習活動は、「考える」とか「発表する」ということに比べ、あまり重視されていないように感じてしまいます。「書く」ことで考えが整理されることもありますし、新たな発想を引き出したり、記録したりすることもできます。また、何度も書いたということで、記憶に自信のないような漢字が、鉛筆を持つことで書けたという経験がある方もいらっしゃると思います。

 現在は、何かと効率が重視され、無駄なものは省く傾向にありますが、学校での学習はすべてが効率よく進むというものではなく、手際が悪くても、無駄な時間だと思われるようなことでも、後々には意味を持つこともあるように思います。

 子どもたちの「やってもムダだから!」に対抗し、「やってみなくちゃ、わからない!」と言い返し、後々に「やっぱり先生のいう通りだった!」となれば、きっと無駄ではなかったことに気付いてもらえます。