(1) 小金 大谷口城の跡(こがね おおやぐちじょうのあと)

     

 小金城は1537(天文6)年、7年間かけて完成させた高城(たかぎ)氏の居城(きょじょう)です。

「開花城」とも呼ばれました。

東西1km近く南北500~600mにもわたるとても大きな城でした。

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の関東攻めにより1590年に落城(らくじょう)しました。
大谷口歴史公園はその小金城の跡地を利用し、自然と歴史に触れ合うことができる公園として整備(せいび)されました。

小金城の遺構(いこう)のなかでも、畝堀は全国的にも非常に珍しい構造をしたものです。 一部は大谷口歴史公園で見ることができます。

 

     

堀(障子堀しょうじぼり)

堀の途中一カ所に高さ約2m間仕切り(障子)が造られてました。堀底を侵入してきた敵をその壁でさえぎる構造になってました。

空堀は砂地を掘り下げて造ってるため、水はけが良く造られてました。

堀(畝堀うねぼり

堀は幅7m、深さ3mの普通の大きさです。

堀底に断面がかまぼこ形をした約90cmの畝(うね)が連続して造られた、とても珍しい構造をしてます。

侵入した敵の移動がしずらくなるようにした、といわれてます。

畝部分は粘土層(ねんどそう)で、とても滑りやすく更に効果的になってます。

 小金城の規模は南北約600m、東西約800mに及ぶ県下最大級の中世城郭です。

小金城、大谷口小金城、大谷口城、小金大谷口城と四通りの名称があり地元では大谷口城と呼ばれ親しまれてます。